直感2012/05/16 05:16

関わっているケースでさまざまな出来事が起こった時、「これは急いで動かずもう少し様子を見よう」とか「これは前もって○○事業所に連絡しておこう」とか「先に△△に連絡してから□□に伝えよう」などと判断します。

その判断は「直感」です。

なんとなくそうした方が良いと感じるのです。そしてそれが功を奏すことが多いです。「様子を見て良かった~」とか「前もって○○に伝えといて良かった~」という具合です。

「なんとなく」とか「直感」というと何の根拠もないような響きですが、実は根拠はあるのだろうなと思います。

私のこれまでの経験が脳内データベースに蓄積されていて、瞬時に検索をかけて導き出した結果が「なんとなくそう思う」などだと思うのです。

本当はその「なんとなく」をきちんと言語化して「こうだからこう判断した」といえるべきなのでしょうし、そう表現する訓練をするべきなのだろうなと思います。

出来事にまとっているニュアンスや雰囲気、肌で感じる違和感や切迫感などを言葉にするのは難しいですけれど、そこは「プロとしての判断」を説明するためには必要なことだと考えています。

とは言え、この「直感」の部分はマニュアル化するのも困難な、ある種の「ワザ」という気もしています。

もちろんまだまだ未熟な私ですから全てうまくコトが運ぶわけでもなく「あ~先に□□に伝えておけば良かったかな~」などと反省することもあります。

そうした経験もまた脳内データベースに蓄積されていくのでしょう。

ますます「直感」を磨いていきたいと思っています。

昨日、以前「慌てず様子を見よう」と判断したことが良い方向に落ち着いたケースがありましたので、つらつらとそんなことを考えました。

ケイタイの電話帳2012/05/09 06:04

近頃めっきり記憶力が減退して、とっさに過去のデータを脳細胞から引き出すことができなくなりました。

定期的にお目にかかっている方は問題ありませんが、時々お電話をくださる「ゆるやかな継続相談」の方などは、その頻度が数ヶ月ぶりだったりすると、「田中です」とか「山田です」と言われても、あるいはケイタイ画面に名前が表示されても、どういう相談内容のどの田中さんだったか山田さんだったかとっさには思い出せないのです。

もちろん記録を見れば判りますが、必ずしも記録がすぐに見れる状況でもありません。

そこで考えたのが「ケイタイの電話帳の名前の登録」に工夫することです。

事務所宛の電話も転送でケイタイで受けますし、ケイタイ番号をお伝えしていることも多いですから、実際のところ全ての電話をケイタイで受けます。

つまり登録さえしていれば、電話を取る前に名前はわかります。

でも「名前」だけでは数ヶ月前あるいは1年前の記憶は呼び戻されませんので一工夫します。

例えば「山田太郎」と登録するのではなく「山田 A町の父の○○の件」などと可能な限りキーワードを登録しておきます。

するとにわかに脳細胞がその記憶を呼び戻してくれるので、電話をとって「山田です」とお名前をおっしゃったら「以前、A町にお住まいのお父さまの○○の件でお電話いただいた山田さまですね?その後いかがですか?」というようにお話しを始めることができます。

これがなければ「え~っと、山田さま・・ごめんなさい、どちらの山田さまでしたでしょうか」などど失礼な対応になってしまう可能性があります。

もちろん万が一ケイタイを紛失したことを考えて、他の人にはわからない略語などを使って登録します。

先日は、以前お電話をくださった方から再び数ヶ月ぶりに電話がかかってきて、外出先でしたし、この登録が本当に役に立ちました。

衰える記憶力には工夫で対処。これも信頼関係を損ねない1つの方法かなと思っています。

「問題」ではなく「現象」2012/05/03 06:15

「高齢者問題」って言いますよね。

でも長生きできることは人類の夢だったはず。

「問題」と言われると長生きすることが罪のような、老いることに罪悪感を持ってしまうような気がします。

高齢者が増えることに伴って確かに「問題」もあるでしょうけれど、そうではないプラスの部分もあるはず。

だったら、「問題」と言わずに、まずは「現象」と言ってみてはどうでしょう。

「高齢者問題」ではなく「高齢者増加現象」です。

「現象」自体に是非はありません。

解決すべき課題はもちろんその解決策を論議しつつ、でも老いることの価値や尊さにもっと光をあてても良いと思うのです。

インターネットで得る情報よりも「長老の(死語ですかね?)知恵」の重みを次世代が感じることが大事だと思います。「おじいちゃん、おばあちゃんってスゴイぞキャンペーン」なんてどうでしょう。

2050年には認知症患者の数が・・・とか、2050年には高齢者人口が・・などという記事を見るにつれ、その2050年に高齢者ど真ん中で「問題当事者」となる私(生きていれば・・)は、そんなことを考えてしまいます。

「ブラボー高齢者増加現象!」くらいの明るさで2050年を迎える世の中になればなぁと思います。

メンタル面2012/04/25 00:05

「メンタル面の強さ・弱さ」という表現を耳にします。

クイズ番組(←好きなんです)で、解答者が最初の問題で間違えてその後グダグダになってしまったような時、「メンタル面が弱いんだよ~」などと突っ込まれています。

フィギュアスケート(←好きなんです)で、最初のジャンプを失敗してもそれを引きずらずにその後の要素を成功させると「メンタル面が強くなりましたね」と解説されています。

つまり、1回や最初の失敗にくよくよしてあとに悪影響を及ぼすか否か・・ですね。

私の場合、例えば、
・講師として話している時、ほとんどの人は一生懸命に聴いてくれていても、たった一人のつまらなそうな人が気になる
・講師として関わった研修のアンケートで、「良かった」と多くの方が答えてくださっている中で、少数の「良くなかった」の回答が気になる
・相談会のアンケート結果で、「満足」と答えた人がほとんどなのに、たった一人の「不満」の回答が気になる

・・・といった状況ですね。

たった一人のつまらなそうな人を気にするあまりに集中力が欠けてしまうのは「メンタル面の弱さ」かと思います。

もちろん、クイズやスケートとは違って「自分との戦い」ではなく「相手」がいることですから、まったく気にしないわけにはいきません。なぜつまらなそうなのか、なぜ「不満」と回答されたのかを真摯に受け止めて今後の糧にすることは大事だと思いますし、そもそも「不満」と思われるようなものを提供してはいけないと思います。

ですが「全員が満足」というのはなかなか難しいことです。

「不満」である少数意見を、客観的に受け止めることなく、やみくもにそのことが気になってなんだか心が重くなってしまって他に悪影響を及ぼしては本末転倒です。

メンタル面を強くして、「それはそれ」としてある程度の割り切りは必要かなと思います。

アンケート結果を前にして、たった一人の「不満」の回答に落ち込みながら、そんなことを考えて自分に言い聞かせている私です。

「社会福祉士の柳田です」2012/04/19 05:36

「なぜ独立型社会福祉士になったのですか?」と訊かれれば「ライフスタイルを考えて。使命感はあとからついてきた」と答える私です。専業主婦だった私が子育てをしながら仕事を再開する道を考えた結果の選択です。

ですけれど、「独立型社会福祉士」(という言葉も正式には存在していませんでしたが)という組織に属さない道を選択肢の一つとして考え始めたのは、友人がSOHOスタイルでパソコン関係の仕事をしていたことで「家で仕事をする」スタイルが身近だったことと、そしてある出来事がきっかけでした。

ある出来事とは、とある大学で行なわれた福祉に関する学会での出来事です。

10年以上前、1才になる子どもと過ごす専業ママの日々を、幸せだと思いながらも外出もままならない毎日に息苦しさもかなり窮屈に感じていました。

そんな時、歩いて数分の大学で福祉関係の学会が開催されました。私は思い切って子どもを預けて参加したのです。久々の外の空気です。

その学会の分科会で、私は発言したくてウズウズしました。高齢者施設に勤めていた経験からどうしてもその場で伝えたい気持ちが沸き起こってきたのです。

ですが、当時の私は専業主婦。過去に施設勤めをしていたとは言え、
「主婦の柳田です」と名乗って発言するにはインパクトがなさすぎると感じました。とは言え、当時の私に「○○の柳田です」と言える所属集団もなければ肩書きもない・・と考えていたところ、ふと、思ったのです。


私、社会福祉士に合格したやん。所属組織はないけど「社会福祉士の柳田です」って名乗ってもええやん。

そう考えた私は挙手し「社会福祉士の柳田です」と名乗った上で思いを発表したのでした(それが我ながら良い内容で、会場から拍手をいただいたことを思い出します)。

その時に「組織に属さなくても、どこかに就職しなくても、“社会福祉士の柳田”の立場で仕事をしていくことができるのでは・・?」と思ったのです。

そしてそれは私の目指すライフスタイルとも一致するものでした。

当時は「独立型社会福祉士ネットワーク」などもなかったですから情報収集もままなりませんでしたけれど、日本社会福祉士会に問い合わせたら「今わかっている限りの独立スタイルの社会福祉士」の一覧をFAXしてくれました。13人だったことを懐かしく思い出します。

開業届を提出して11年目となる今、「社会福祉士の柳田です」というフレーズを当たり前に使っています。そのことの喜びと、そして責任の重さを改めて感じているところです。

社会福祉士の柳田の述懐でした。