○○手 ― 2012年03月21日 06:51
今話題の由紀さおりさんがインタビューなどでご自分のことを語られる時、「歌手」ではなく「歌い手」と表現されているのがとても印象に残っています。「歌い手としての人生を考えた時・・・」というふうにおっしゃっていたし、それ以外の場面でも「歌い手」と何度も言われていたのです。
「歌手」と「歌い手」、どちらも意味する職業は同じですけれど、「歌い手」の方が人間のあたたかみとか、厚みとか、思いを感じることができるような気がします。
これが「歌い屋」になると、なんだかちょっとその存在を揶揄されているような、イヤな印象となりますね。
由紀さおりさんはきっと意識して「歌い手」と自らを表現されているのでしょうね。ステキです。
さて、ではそのステキな表現を使って、「社会福祉士」を「○○手」と表現することができないでしょうか。
考えましたけれど、なかなか一言では難しいですね。
ある場面では「聴き手」であり、「伝え手」であり、「繋ぎ手」であり、「支え手」である・・といった感じでしょうか。
「支援者」というより「支え手」の方が、より寄り添っているような気がします。
私は社会福祉士として、「福祉屋」(←あくどい語感になりますね)ではなく「支え手」「聴き手」でありたいと、「夜明けのスキャット」を聴きながら考えています。
「歌手」と「歌い手」、どちらも意味する職業は同じですけれど、「歌い手」の方が人間のあたたかみとか、厚みとか、思いを感じることができるような気がします。
これが「歌い屋」になると、なんだかちょっとその存在を揶揄されているような、イヤな印象となりますね。
由紀さおりさんはきっと意識して「歌い手」と自らを表現されているのでしょうね。ステキです。
さて、ではそのステキな表現を使って、「社会福祉士」を「○○手」と表現することができないでしょうか。
考えましたけれど、なかなか一言では難しいですね。
ある場面では「聴き手」であり、「伝え手」であり、「繋ぎ手」であり、「支え手」である・・といった感じでしょうか。
「支援者」というより「支え手」の方が、より寄り添っているような気がします。
私は社会福祉士として、「福祉屋」(←あくどい語感になりますね)ではなく「支え手」「聴き手」でありたいと、「夜明けのスキャット」を聴きながら考えています。





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