判決 ― 2016年03月02日 07:57
JRの徘徊事故について「家族に賠償責任なし」との判決が出ました。ひとまず安心しました。
しかしながら、この判決は「今回は」です。妻が高齢であり要介護1の認定を受けていることなどからの判断です。
今後すべての場合において「家族に賠償責任がない」わけではないのです。
もし、同居家族が「元気」であれば・・・・?
もし、「家族」のいない私の被後見人さんの場合だったら・・・・?
もし、電車の遅延だけではなく、誰かの命が失われていたら・・・?
もし、「誰にも責任がない」という結末で納得できない状況は・・?
今後は、さまざまな議論とケースを重ねていっての個別の対応となるのでしょう。
木内裁判官の補足意見の「本人が行動制限をされないことが重要だ」との見解が、今回の判断の大きなポイントの一つであり、今後のありようの判断基準の方向性を示したと感じます。
私が賠償責任を問われる側に立つ可能性もある。
私が賠償責任を求める側に立つ可能性もある。
誰もがその可能性がある。
個別のケースで判断するとともに、社会全体で分かち合うことのしくみ作りを考える必要があると思います。
それを具体化することが難しいのですけれど・・・。
ひとまずは今回の判決にホッとしているところです。
しかしながら、この判決は「今回は」です。妻が高齢であり要介護1の認定を受けていることなどからの判断です。
今後すべての場合において「家族に賠償責任がない」わけではないのです。
もし、同居家族が「元気」であれば・・・・?
もし、「家族」のいない私の被後見人さんの場合だったら・・・・?
もし、電車の遅延だけではなく、誰かの命が失われていたら・・・?
もし、「誰にも責任がない」という結末で納得できない状況は・・?
今後は、さまざまな議論とケースを重ねていっての個別の対応となるのでしょう。
木内裁判官の補足意見の「本人が行動制限をされないことが重要だ」との見解が、今回の判断の大きなポイントの一つであり、今後のありようの判断基準の方向性を示したと感じます。
私が賠償責任を問われる側に立つ可能性もある。
私が賠償責任を求める側に立つ可能性もある。
誰もがその可能性がある。
個別のケースで判断するとともに、社会全体で分かち合うことのしくみ作りを考える必要があると思います。
それを具体化することが難しいのですけれど・・・。
ひとまずは今回の判決にホッとしているところです。





最近のコメント